「共同体感覚」とは、アドラー心理学の中心的な考え方です。
人は他者とのつながりの中でこそ、自分の価値を感じ、安心して生きることができます。
アドラーは、他者を仲間として信頼し、自分も社会に貢献していると感じることが、幸福の本質であると説きました。
しかし、「共同体感覚」という言葉を一言で説明するのは容易ではありません。
それは単なる「思いやり」や「協調性」ではなく、人間観そのものに関わる深い概念だからです。
実際、関連書籍をあたっても「共同体感覚」の厳密な定義を目にすることはあまりなく、それっぽい記述を発見しても、理解しづらい、納得しづらい内容になっているなと感じます。それだけ説明が難しいものであるということですね。いつかわかりやすい言葉で定義される日がくるのでしょうか。
本記事では、アドラー心理学における『共同体感覚』について、どのように説明されているのかまとめていきます。

共同体感覚とは?
まず、小学生の共同体感覚を測るためのアンケートを作る研究・論文を見てみましょう。
アドラー(1927)は,共同体感覚について,“他の人の目で見て,他の人の耳で聞き,他の人の心で感じる”という言葉が共同体感覚の許容し得る定義であると述べている。また,Crandall(1981)は,共同体感覚を“他者に対する興味と関心”と定義し,岸見(2010)は“自分のことだけではなく,常に他者のことも考えられる。他者は私を支え,私も他者とのつながりの中で他者に貢献できていると感じられること,私と他者とは相互協力関係にあるということ”であると述べている
小学生版共同体感覚尺度の作成 髙坂 康雅 和光大学
アドラー自身、完全ではないが「許容し得る定義」として、「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる」という言葉を挙げており、「共同体感覚」は説明が難しい抽象的な概念であるということがわかります。
Crandallの「他者に対する興味と関心」という定義は、日本語で書かれた本でも目にする言葉ですが、いまいちピンときません。なにかが不足しているという感じがします。
そして、岸見さんは言葉を足してより丁寧に説明していますが、やはり「共同体感覚」は簡単に説明できるものではないということでしょう。
共同体感覚とは、実践的な価値観である
野田俊作顕彰財団のページでは、次のように書かれています。
人々の暮らす共同体に対して建設的であり、貢献的であることが善、共同体に対して破壊的なことが悪であるとする、きわめて簡潔で、実践的な価値観です。
アドラー心理学とは 一般財団法人 野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japan
「共同体感覚」は、善悪を判断するための実践的な価値観であるということです。たしかに、何らかの価値観を表すための言葉でもあるとすれば、腑に落ちやすい気がします。そして、その価値観について野田さんは非常にわかりやすく説明しています。
野田はそれをさらにわかりやすく、「『これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう』と考えること」と表現しました。
アドラー心理学とは 一般財団法人 野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japan
これは非常にわかりやすい説明ですね。
共同体感覚は、思想である
そして「みんな」についても、以下のように補足されており、現在・過去・未来を含めた「みんな」という定義のようです。さらに興味深いのは、共同体感覚は思想であるという点です。
なおここでいう「みんな」とは、身近な人々はもちろんのこと、できるだけ多くの、より様々な人々を指す言葉です。より大きな共同体にともに所属している、他の場所で暮らす人々、今を生きる私たちだけでなく子孫や後の世代の人々、私たちに様々なものを遺してくれた先祖や遠い昔の人々までをも含む、「みんな」のことです。そのような「みんな」を信頼し、尊敬し、互いに協力し合ってともに課題に対処しながら建設的、貢献的に暮らしていこうとするのが、この共同体感覚という思想です。
アドラー心理学とは 一般財団法人 野田俊作顕彰財団 Adler Institute Japan
まとめ
今回は以下のようにまとめてみました。
「共同体感覚」とは、善悪を判断するための実践的な価値観であり思想で、『これはみんなにとってどういうことだろう。みんながしあわせになるために私はなにをすればいいだろう』と考えること。
そもそも、アドラー心理学には「どう生きるべきか」「人とどう関わるべき」という人生哲学が含まれているので、現代における心理学の範疇にはおさまらないものだと言われています。
そのようなアドラー心理学における「共同体感覚」は、聞き慣れない言葉で難しい概念ですが、価値観や思想のことであるという前提であれば、より理解を深めていけそうです。
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