認知の境界線――AI の学習プロセスと人間の発達的学習の比較

「学ぶ」とは何か

私たちは「学ぶ」という言葉を、何気なく使っている。赤ん坊が言葉を覚えるときも、AI が画像を識別する能力を得るときも、「学習」という言葉が用いられる。しかし、同じ言葉の下に、果たして同じプロセスが宿っているのだろうか? 本稿では、発達心理学と人工知能の視点から、学習のプロセスを比較し、認知の本質とその境界について考察したい。

人間の発達的学習――時間、関係性、身体性

人間の学習は、時にじれったいほどに遅い。言葉を話すようになるまでに、赤ん坊は何百時間も周囲の声に耳を傾け、反復し、失敗しながら少しずつ「意味」をつかんでいく。ジャン・ピアジェは、子どもが能動的に環境と関わりながら、認知スキーマを構築していく過程を重視した。レフ・ヴィゴツキーは、他者との対話によって、認知が「外部」から「内部」へと移行する「最近接発達領域」に注目した。

ここには明確な特徴がある。すなわち、時間の中で展開されるプロセスであること。人間関係や身体的経験が不可欠であること。そして、「未熟さ」が可能性として開かれていることである。学ぶとは、単に情報を得ることではなく、世界の中で「存在する」ことを変えていく過程なのだ。

ジャン・ピアジェ

ジャン・ピアジェ(1896-1980)は、スイスの著名な心理学者で、「発生的認識論」の創始者として知られています。彼は、子ども自身の行動観察を通して、知能や思考がどのように発達するのかを研究しました。

ピアジェの理論の中心は、人間が外界を理解するための枠組みである「シェマ」が、「同化」(既存のシェマに新しい情報を取り込む)と「調節」(新しい情報に合わせてシェマを変化させる)というプロセスを通じて発達していくという考え方です。

また、子どもの認知発達を「感覚運動期」「前操作期」「具体的操作期」「形式的操作期」の4つの段階に分けて説明した「発達段階説」は、教育や保育の分野に大きな影響を与えています。

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レフ・ヴィゴツキー

レフ・ヴィゴツキー(1896-1934)は、ソビエト連邦の心理学者で、人間の精神発達における社会や文化、言語の役割を重視した「社会文化的発達理論」を提唱しました。37歳という若さで亡くなりましたが、その独創的な理論は後世に大きな影響を与えています。

彼の中心的な概念の一つに「最近接発達領域(ZPD)」があります。これは、子どもが独力で解決できる水準と、他者(大人やより能力の高い仲間)からの援助があれば達成できる水準との間にある領域を指し、教育や学習における足場かけ(スキャフォールディング)の重要性を示唆しました。

また、思考の発達における言語の役割を強調し、他者とのコミュニケーションのための「外言」が、思考のための「内言」へと内面化していくプロセスを説明しました。これらの理論は、教育心理学や発達心理学に多大な貢献をしています。

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AIの学習――データとパターン、アルゴリズムの世界

対して、AIの学習は、膨大なデータの中からパターンを抽出することで成り立っている。深層学習においては、画像や音声、言語といった入力データに対し、正解ラベルをもとに重みを調整し、精度を高めていく。試行錯誤を経る点では強化学習において動物的な側面も見られるが、その学習はあくまで「目的関数」に従属している。

ここで注目すべきは、AIの学習には「関係性」や「身体性」が希薄であるという点だ。AIは孤立したプロセッサの中で計算を行い、学習の意味を「理解」することはない。人間のように意味を「感じる」ことはなく、あくまで統計的な相関を捉えているにすぎない。

類似と差異――学びの共通点と決定的な違い

確かに、試行錯誤、反復、強化といった学習の基本構造には共通点が見られる。しかし、その根底には決定的な違いがある。人間は、意味を生きる存在である。私たちは「なぜ?」と問い、文脈を共有し、物語の中に位置づけながら知識を構築する。AI は、パターンを見つけても、そのパターンが何を意味するかを理解しない。

たとえば、ある画像が「猫」とラベル付けされるとき、AI は耳の形や毛の色といった特徴からそれを識別する。一方で人間の子どもは、「猫とは何か」を家庭の中で体験し、触れ合い、言葉のやりとりを通じて「猫性(ねこせい)」を理解していく。そこには、単なる分類を超えた「関係の網の目」が広がっている。

認知の境界線をめぐって――未来に向けた思索

ここで問いたいのは、AIの進化が人間の認知の特性を相対化するのではないか、ということである。AI がかつて人間固有と思われていた能力を獲得するにつれ、逆に私たちが当たり前とみなしていた「学ぶ」という行為の意味が問い直される。

認知科学における「エンボディド・コグニション(身体化された認知)」の理論は、知能とは脳内の情報処理にとどまらず、身体と環境との相互作用によって生じるとする。この視点から見ると、AI にも身体が必要ではないか、あるいはそのようなAIは果たして実現可能かという問いが立ち上がる。

また、教育やケアの場において、共感や倫理的判断といった「関係の技術」が重視されるとき、AI は人間の代替となりうるのか? それとも、補完的な存在として新たな関係を築くことができるのか? 技術の進展は、単なる便利さ以上に、人間の在り方そのものを映し出す鏡である。

身体化された認知

伝統的な認知科学では、知能は脳内の記号処理として捉えられがちでしたが、この理論は、身体の構造や運動、感覚入力、そしてそれらが埋め込まれた環境との動的な関わりが、思考や認識、学習といった認知機能の本質を形作ると主張します。

つまり、心は身体に根差し、身体は環境の中に存在することで初めて「知る」ということが可能になるという考え方です。ロボティクスや言語理解、感情研究など、幅広い分野に影響を与えています。

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「学び」を再定義する

AIと人間の学習を比較することは、単に両者の性能を競うことではない。それは、私たち自身が「学ぶ」とはどういうことかを、あらためて問い直す契機である。効率よく情報を取得することだけが学習ではない。関係の中で、時間をかけて、意味を感じ取りながら世界と関わっていく過程。その豊かさと脆さを含めてこそ、「学び」は私たちの存在の核心にある。

AIとの対話を通じて、私たちは自分たちの輪郭をより鮮明に描き出すことができる。そのとき初めて、「認知の境界線」は明確な線ではなく、にじみながらも豊かな接点となるのではないだろうか。

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この記事を書いた人

フレームシフトプランナー。
AIとの対話で「問いのフレーム」を意図的にシフトし、新たな視点とアイデアを生み出す。

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