
本記事は、部下の顔色を伺い、過剰な配慮で疲弊しているマネジャーのために、アドラー心理学の「課題の分離」を組織運営に応用し、自律的に成果を出すチームへと作り替えるための具体的な処方箋を提示するものです。
共感の罠:なぜ善意の介入がチームを腐らせるのか
マネジャーとして、あなたは日々「部下のモチベーションをどう上げるか」に頭を悩ませていないでしょうか。会議では反発を恐れて言葉を選び、進捗が遅れている部下がいれば「自分がやったほうが早い」と肩代わりする。これこそが、多くの現場で起きている「優しい上司」の日常です。
しかし、行動経済学や認知科学の視点から見れば、この「優しさ」こそが組織のパフォーマンスを低下させる元凶です。
他人の感情という、自分ではコントロール不可能な変数に責任を持とうとすることを、心理学では「介入」と呼びます。あなたが部下の機嫌を取り、課題を先回りして解決するたびに、部下は「自分で考え、解決する責任」を放棄します。これを繰り返すことで、組織には「学習性無力感」が蔓延し、指示待ち人間ばかりが量産されることになります。
「部下のやる気がないのは私の責任だ」という過度な共感は、一見責任感が強いように見えて、実は相手を「自分で自分の問題を解決できない未熟な存在」として扱う、無意識の支配欲求に基づいているという不都合な真実を、まずは受け入れなければなりません。
課題の分離:突き放すのではなく「信じる」ための大人のマナー
アドラー心理学の根幹をなす「課題の分離」は、ビジネスシーンにおいてしばしば「冷淡な切り捨て」と誤解されます。しかし、真意は全く逆です。課題の分離とは、プロフェッショナル同士が背中を預け合うための「大人のマナー」です。
その課題は、最終的に誰が責任を負うものか?
課題を分離する基準はシンプルです。「その選択によって、最終的に誰が不利益を被るか」を考えればよいのです。
- 納期を守るために、集中力を高めて作業するのは誰か?(部下の課題)
- その結果、評価を受けたり、スキルを向上させたりするのは誰か?(部下の課題)
- チームとしてのリソース配分や、最終的なリスクヘッジを行うのは誰か?(上司の課題)
例えば、外科医が手術中に「患者が痛がったら可哀想だ」と手を震わせていては、命を救うことはできません。プロとして目的を達成するために、個人の感情と直面すべき課題を峻別する。
上司が部下の「やる気」や「不満」という、部下自身の課題に土足で踏み込むことは、相手の聖域を侵す行為です。部下が課題を解決できずに苦しんでいるとき、上司ができるのは「馬を水辺に連れて行くこと(環境を整える、選択肢を示す)」までであり、水を飲むかどうかは本人の決断に委ねるべきなのです。
この「踏み込まない勇気」こそが、部下に「自分の足で立つ」ことを強烈に意識させ、自律性を引き出す唯一の道です。
承認欲求を卒業する:評価ではなく「感謝」でつなぐ横の関係
多くの組織が停滞するもう一つの原因は、過剰な「承認欲求」の連鎖にあります。 「上司に褒められたいから頑張る」「叱られたくないからミスを隠す」。このような「縦の関係」に基づいた行動は、常に他者の評価という「報酬」を目的としています。
しかし、外的な報酬(承認)を求める行動は、それが得られなくなった瞬間に停止します。また、評価者である上司の顔色を伺うことが最優先となり、本来向き合うべき「顧客」や「市場」が視界から消えてしまいます。
リーダーが目指すべきは、評価による支配ではなく、「横の関係」に基づく「共同体感覚」の醸成です。
「褒める」ことも「叱る」ことも、実は評価(支配)である
意外に思われるかもしれませんが、アドラー心理学では「褒める」ことも否定します。なぜなら、褒めるという行為には「能力のある人が、能力のない人を評価する」という上下関係が含まれているからです。
では、どうすればいいのか。答えは「感謝(貢献感)」の伝達です。
- 「よくやった、偉いぞ(評価・縦の関係)」
- 「あなたが資料を早く作ってくれたおかげで、プレゼンの準備が万全に整った。助かったよ、ありがとう(感謝・横の関係)」
部下が「自分は誰かの役に立っている(貢献感)」を感じたとき、人は承認欲求から解放され、自律的に動き出します。この「貢献感」こそが、チームを一つにする「共同体感覚」の源泉となります。
実践編:明日からの言葉選びと対話術
理論を実務に落とし込むために、典型的な2つのシーンでの「言い換え」をマスターしましょう。
シーンA:進捗が遅れている部下への声かけ
部下が納期ギリギリになってもアウトプットを出してこない場合。
【これまでの介入(NG)】
「大丈夫? 何か手伝えることある? 間に合わないなら私がやるから早めに言ってね」
解説: 部下の課題(納期管理)を上司が引き受けてしまっています。部下は責任感を放棄し、上司への依存を強めます。
【課題の分離型(OK)】 「納期は明日だね。この仕事の責任者は君だ。私は君が完遂できると信頼して任せているが、何か私に『協力(リソース調整など)』が必要なことはあるかい?」
解説: 「完遂するのは君の課題である」と明示しつつ、上司は「協力者」という横のポジションに徹しています。
シーンB:クオリティが低い資料を持ってきた時
内容が不十分な資料に対し、つい自分で手直ししたくなる場合。
【これまでの介入型(NG)】
「ここ、全然ダメだね。私が直しておくから、次は気をつけて」
解説: 「評価」という縦の関係です。部下は「直されるのが当たり前」になり、自分で考えるのをやめます。
【課題の分離型(OK)】
「この資料で、君が一番伝えたかったポイントはどこかな? 今の状態だと、私にはそれが十分に伝わらなかった。どう改善すれば目的を達成できると思う?」
解説: 評価を下すのではなく、目的との「ズレ」を事実として指摘し、解決策(課題)を本人に返しています。
組織導入時に必ず起こる「リバウンド現象」への処方箋
「優しい上司」が課題の分離を始めると、チームには必ず一時的な不協和音が生じます。これを「リバウンド(拒絶反応)」と呼びます。マネジャーは、この嵐を乗り越える覚悟を持たねばなりません。
1. 「見捨てられた」という被害妄想への対策
部下から「最近、課長が冷たくなった」という不満が出ることがあります。これは、部下が「依存」から引き剥がされる際の痛みです。 対策として、事前に「意図」を共有してください。「私は君たちをプロとして信頼している。だからこそ、君たちの成長を阻むような過干渉(介入)を卒業することにした」と、これはポジティブな変化であることを宣言してください。
2. 「無能の露呈」によるパニックへの対策
自分で判断せざるを得なくなり、ミスが増えたり、フリーズしたりする部下が現れます。 対策として、失敗を責めず、事実として扱うことです。「この失敗という経験は君の課題だ。ここから何を学べるか?」と問いかけ、解決のプロセスを本人が主導できるように横から並走します。
3. 「指示待ち」による停滞への対策
介入を止めると、自分から動けない部下が様子見を始めます。 対策として、放置するのではなく「共同体感覚(共通の目的)」を強調します。「このプロジェクトの成功のために、君のポジションから何ができると思う?」と、当事者意識(コミットメント)を促し続けます。
嫌われる勇気は、チームへの最大の愛である
「嫌われる勇気」とは、自分勝手に振る舞うことではありません。 それは、他者があなたをどう評価するかという「他者の課題」を切り捨て、自分が信じる「最善の道」を歩む決意のことです。
あなたが部下の顔色を伺うのをやめ、プロとして課題の分離を徹底したとき、一時的にチームには冷たい風が吹くかもしれません。しかし、その先にしか、プロ同士が互いをリスペクトし、同じ高みを目指す「真の共同体」は存在しません。
今日、この瞬間から、部下を「守るべき子供」として扱うのをやめてください。 彼らを「共に戦うプロフェッショナル」として扱い、彼らの課題を彼らの手に返してあげること。それこそが、リーダーに求められる最高級の「優しさ」であり、組織を加速させる唯一の鍵なのです。
明日からの具体的アクション
- 今、自分が抱えている仕事の中で「本来は部下の課題であるもの」を1つ特定する。
- その仕事を部下に返す際、「君ならできると信頼している」という言葉を添える。
- 部下の機嫌が悪くなっても「それは本人の課題である」と自分に言い聞かせ、介入を我慢する。


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